ゲームの神様「遠藤雅伸」に聞いたゲームデザイン。コンテンツとコミュニケーションの間を繋ぐ哲学
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——ゼビウスのキャラクターデザインは本当にすごいですよね。ドルアーガの塔(*5)についてはどうお考えですか?
遠藤さんご自身は、すぐ死ぬゲームが好きではないとのことですが。あれはかなり鬼畜なゲームでしたよね。
すぐ死ぬっていうか、ドルアーガの塔は不親切なゲームだと思う。それは時代がそれを受け入れたからだけど。
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時代が受け入れてくれたから「名作・良作」になれたゲームというのは沢山あると思う。どんなものでも「絶対的な作品の良さ」だけで評価されるということはあり得なくて、むしろ商売的にはその時代に適合しているかどうかの方が重要になる。
インタビュー中に出てくる『ドルアーガの塔』はその最たる例で、謎解きは何百回もプレイして偶然発見できるのを待つしかない、みたいなものが多い。もし現在新しいゲームとして発売されていたら、駄作とは言わないがマイナーな奇ゲーみたいな扱いになったと思う。高難度のDOSゲー全般や最近何本か記事にした『Hitman: Codename 47』なんかも、あの時代だからこそ評価を受けたというのはある。
ゲームが普及しだした頃は、みんなまだゲームに対するバイタリティを豊富に持っていたのと、まだバランス的に洗練された作品が少なかったからこそ許容された、というものが多い。逆に現代のゲームが簡単になり過ぎているのは、デザインがよりスマートになりムダが排除されたのと同時に、ゲームビジネスのさらなるグローバル化・ワイド化が求められ、より多くの層に訴求する必要に迫られているからでもある。
まあでも『デモンズソウル』みたいなのがヒットしているのを見ても解かる通り、難しい=一般人は楽しめない、という図式が成り立つわけではないのだけど。ただ「難しくて多くの人が遊べるゲーム」を作るのは「簡単で多くの人が遊べるゲーム」を作るより遥かに難しいのは明白でもある。
「難しくて多くの人が遊べるゲーム」は本当の意味で優れたゲーム、最近私が何度か使ったキーワードで言うと「普遍性を持つゲーム」でないと実現が難しいのだと思う。だからそういうゲームが作れるスタジオは素直に実力がある、本物だな、と思える。逆に簡単=誰でも遊べる、という図式で作られたゲームは子供騙しなものが多い。
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今一番大事なのは面倒くさくなくて、リプレイがしやすいもの。リプレイはできたほうが面白い。すぐもう一回遊べる。疲れたらそこでご馳走様。そういうのは今の時代にはいらないと思う。今、世間からソーシャルゲームといわれているものが、みんなからおかわりされる状態になっているのは、プレイの手間がボタン押すだけだから。
逆にゲーム性の中で満足感が得られるかの問題があるね。ゲームデザインして試作するときに、遊んだ人に面白かったかって訊くと「面白かった!」って皆言ってくれる。そこで、じゃあもう一回やってごらん、っていうと「ええっ」ってなる。それは面白いんじゃない、頭で面白がっているだけで、心から楽しんでる訳じゃない。
ゲームを作る側にも同じ事が言える。頭のいいやつほど頭でおもしろいもの作るんだよね。このギミックがトレードオフの関係になっていて良いとか色々と言って、つまらないものを仕込んでつまらないものを作る。これこそがゲーム性の高さだみたいなことをやる。
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今回のインタビューで一番面白い箇所はここかな。これはマニア的な人が陥りがちな罠で私自身も警戒しているんだけど。「(発想的には)面白いんだけど(ゲーム的には)つまらない」という作品は結構ある気がする。取り違えやすい。
— 時代に受け入れられたゲーム « 雑記 (via petapeta)